@article{oai:nagano.repo.nii.ac.jp:00000527, author = {Jou, Hakutaro and Matsuzaki, Hiroshi and Kelli, Robinson and Puck, Brecher}, issue = {2}, journal = {長野大学紀要, BULLETIN OF NAGANO UNIVERSITY}, month = {Sep}, note = {application/pdf, あなたはサバ、ブリ、タイがたんなる魚の種類だと思うだろうが、それらはまた世界のどこかで使われている言語の名前なのだ。それにもし私がリス語、タマ語、ダン語が話せると言ったら、あなたはどう思うだろうか。本論では、原著者たちは世界にある8,000の言語の特性をいくつか論じ、またそれが構造としてどんなふうに日本語と対照的であるかを述べる。真の「日本語らしさ」はふつう考えられているよりも複雑である。進化、同化、変質や見当違いの民間語源は、どうしようもないくらい元の言語の多くの要素を曖昧にしている。日本語はすでに話し手の人口としては8番目に大きな言語であって、いくつかのほかの独立した言語を含み、また目に触れられないところで、ほかの外国語と結びついている。「ほんのこればかりだ」がスペインのバスク語では「こればかりだ」となることはたんなる偶然の一致だろうか。室町時代にヨーロッパから最初の宣教師たちがきてから、「悪魔の言語」である日本語は欠陥があり、格変化などをもたないとみるような、ヨーロッパ中心主義や言語上の優越性が言語学の分野でみられた。こういう傾向を内にもって、日本人は自国語をほかに例のない珍しいことばだと思うようになった。その結果は、国際間のコミュニケーションやほかの形の交流にとって有害であることがわかった。というのは、そういう傾向のため、日本人は心理的にみて、外国語を、確信をもって取り入れようとする態度から距離をおくようになり、また、日本語のなかに潜む文化的な複雑さが外国人にはとくに不可解だという信念をもつようになったからである。現代の言語学の指針はこのような神話を打ち消し、世界の言語の話し手たちの間に連帯感をつくりだすことである。}, pages = {86--102}, title = {I Can Speak Squirrel : The Structural "Essence" of Japanese}, volume = {17}, year = {1995} }