@article{oai:nagano.repo.nii.ac.jp:00000338, author = {井原, 久光}, issue = {2}, journal = {長野大学紀要, BULLETIN OF NAGANO UNIVERSITY}, month = {Sep}, note = {application/pdf, アメリカの州立大学の歴史的変遷を入植地大学から要約した。入植地大学は、英国スタイルの神学校であったが、ニューイングランドでは、半ば公的教育機関として機能した。入植地大学をもたなかった南部、中西部、西部では州立大学が州立神学校として設立された。19世紀の州立大学の重要性を明確にするため、本論では社会的指導者を育成する大学の基本的なアプローチを二つのモデルとして提示している。第一は、社会的エリートを全寮制に囲い込んで全人教育する「トップダウン方式」であり、第二は、全ての若者に比較的低額で教育を与える「ボトムアップ方式」で、これにより、大学は「社会階層のエレベータ」の役割を担っている。州立大学と私立大学の特徴を示すために、これらのモデルとともに、ジェファーソン民主主義とジャクソン民主主義の違いに照らして説明がある。また、ダートマス訴訟(1816)、ランド・グラント法(1862)や男女共学についても触れている。後半は、インディアナ大学の概要を、キャンパス親模、財政、教職員、理事会その他の観点からまとめているが、こうした概要とデータは、日米の大学を比較するためである。日米の比較では、独立性、競争、環境適応性の三つの点について議論している。}, pages = {40--69}, title = {アメリカの州立大学 : その歴史とインディアナ大学の事例}, volume = {21}, year = {1999} }